幻の104歳誕生日に2011年10月08日 00:01

誕生日の頃にはキンモクセイ
元新聞記者の父は、記者としての最後の勤務地で子供たちの生まれ故郷、そして教育委員なども務めたもっとも愛着のある丸亀市の対岸、倉敷の地で今年7月25日に103歳の生涯を閉じました。

「書くこと」の好きな父は、晩年を過ごした倉敷の老人ホームで、施設内新聞のコラム「ままかり」を担当しました。きっとあこがれの「天声人語」をイメージしていたのではないかと思います。お世話になったスタッフの方から大切に保管していた原稿を手渡され、父の最後の仕事をブログで公開しようと考えました。

原稿に日付がないので、実際の掲載順序と同じ順にならないかもしれません。父の新聞に対する思いを少しでも感じていただければとても幸せに思います。投稿ペースはたぶん不定期で、間に父の思い出や遺品についての記事が割り込むかもしれません。

なお、全記事の投稿を終えると、このブログは更新せず凍結する予定です。

◆ 鉛筆 ◆ コラム「ままかり」より2011年10月08日 00:10

記者時代に使った3Bの鉛筆
 鉛筆は、1565年にイギリスで開発された。やがて各国にも出回るようになった。わが国ではじめて鉛筆を使ったのは、仙台藩主伊達正宗候といわれる。進歩的な殿様だったのだろう。

 私は、大正3年の小学校1年生である。児童たちが鉛筆を使うようになったのは、たしか2年生になった時のように思う。先生は、「鉛筆をなめてはいけません」とよく言われた。

 それまでは石筆で書いていた。黒板を小さくしたような、教科書大の石板があった。それに書いては消し、消しては書いていたものである。鉛筆を使うようになって、楽しかった。

 だれでもよく鉛筆を使われたことと思う。鉛筆はたいへん重宝である。ちょっとメモをするのによい。文章でも絵でもなんでも書ける。気に入らなければ、なんべんでも消して書き直せる。

 いまは電動の鉛筆けずりがある。しゃれた携帯用もある。昔は小刀などで鉛筆をけずった。しんをとがらすのに、よく紙やすりを使った。カワハギの皮を乾かして使ったりもした。

私は新聞社に長い間勤め、毎日、ザラの用紙に、鉛筆で原稿を書きまくっていた。定年退職してから県庁に入ったが、ここでも広報が担当で、いつも鉛筆を手放せなかった。

 いまも鉛筆をよく使っている。長い間鉛筆になじみ、私の右手の中指は、先が曲がり、たこができている。ペンだこはある。私はペンシルだこだろうか。鉛筆とはまだ仲よくしたい。


   子どもたち 鉛筆なめて 知恵がつき

◆ 雲 ◆ コラム「ままかり」より2011年10月22日 01:01

 私は、A 新倉敷のカサブランカから、よく空を見上げる。晴れた日が多いが、曇りや雨の日もある。時には風も吹く。なにより雲が動く。空の模様がさまざまに変わる。楽しい。

 雲は、ふわっと浮いていたり、すいすいとどこへでも行く。それに、さらっとした白い雲があれば、重そうな黒い雲もある。空いちめんに広がる雲があれば、ちぎれた雲もある。でんとして動かない雲があれば、さっさと行ってしまう雲もある。

 朝日や夕日に映えるあかね雲が美しい。ある朝早く、サポーターの I さんが、「窓のカーテンをあけてごらん」といわれる。外を見れば、あかね雲が空いちめんに広がり、すばらしかった。夏に入道雲が出ると、よく夕立になる。いわし雲は秋に多い。

 雲は、動いているうちに、いろいろな形に変わる。なんとなく、人の姿に見えることがある。子どもの顔のようなとき、かわいい。また、動物に似ていることもあり、愉快である。どこかの地形のようなときもよくある。

 雲の下の方をトビやカラスが飛びまわる。ときどき、ヘリコプターやセスナ機が過ぎていく。ジェット機は白線をひき、早い。雲すれすれに高く飛ぶのは旅客機だろうか。まっ白に見える。

 フランスの有名な詩人が、「雲を愛する」という詩を作っている。そのなかで、「雲だ。ほら、あそこを行く。」と、感嘆している。雲に愛着をもっている人は、多いようである。


  白雲の 去りゆく方や 山眠る



【注釈】

 A 新倉敷では各フロアーに名前が付いてます。「カサブランカ」は父が入居していたフロアーの名前です

【写真の説明】

 人の顔に見える写真を選びました。目に見える黒点は、実はヘリコプタです。いずれ顔の部分を拡大した画像を追加するつもりです。