ことばの歩道2011年11月17日 10:30


 私は、大阪で、学生時代に、ある業界新聞のアルバイトをしたことがある。それがきっかけになったかどうかはわからないが、新聞社に勤めるようになった。そして、定年退職後も、歴史ものの編さんや広報の仕事に携わり、今に鉛筆をにぎっている。

 だれでも、ふだん、日記をつけたり、手紙を出したり、覚え書きをするなど、意外に文章をつづることが多い。文章を書くのが好きな人がいれば、嫌いだという人もいる。それにしても、文章が書けるということはよいことだと思う。文章を書くのはそんなにむずかしいことではない。ただ、ことば遣いには気をつけなければならない。

 漢詩の修辞法に「起承転結」というのがある。第一句で詩思を提起し、第二句でそれを受け、第三句でさらに変化させ、第四句で締めくくる。ことばを有効適切に表現するこつである。これは一般の文章にもいえる。

 文章を書くにはひとつの取り決めごとがある。それは、「常用漢字表」「改正送りがな」「現代かな遣い」である。これはひとつの目安とされ、必ずしも守らねばならないものではない。しかし、官公庁や報道機関などは、率先してこれを使うことになっている。私たちも、できることなら現代国語をよりどころにしたい。

 一般の文章は口語体で書くのがよいと思う。言文一致ということばがある。文章のことば遣いを、話ことばに合一させることである。明治のはじめに言文一致運動が起こり、それまで文語体で書かれていた文章が口語体になった。ふだん話していることを、文章にあてはめればよいわけである。

 文章が上手になるにはいろいろなことが考えられる。なにより書いてみることである。そしてよく文章になじむ。新聞や書物のすぐれた文章をよく読むのもよい。有名な作家でも人の文章をよく読むといわれる。どちらかといえば、いま、いちばん日本語の適切な使い方をしているのは、新聞ではないだろうか。

 どんな文章がよいかといえば、もちろん、読みやすくて意味がよくわかることである。ひといきひといきにすらすらと読めるのがよい。政治家や官公庁は、よくむずかしいことばを使っている。むずかしいことばを使うのが、偉いとでも思っているのだろうか。口語文でも名文は書けるはずである。

 文章はやさしいのがよい。そして、きれいなことばを使い、相手に失礼にならないことである。読みやすいためには、読点や句点を適当につけることも忘れてはならない。

 最近は、ことばがたいへん乱れているように思う。とくに若い人のなかに多い。「こられる」を「これる」とか、「見られる」を「見れる」とか、「出られる」を「出れる」など、いくらでもある。「青春しよう」「勝利する」というのも、おかしい。

 文章には敬語がたいせつだが、なにも使い過ぎることはない。敬語は、相手の物ごとを表す場合に用い、自分の物ごとではあるが、相手にかかわりのあるときにも使う。夫に「してやる」といい、子どもに「してあげる」などというのは、間違いだろう。なかには、ペットに「えさをあげる」といったりする。

 敬語をつけては変な場合もある。「おテレビ」のお、「お靴下」のお、「ご芳名」のご、「ご令息」のごなどで、これらはつけなくてよいものである。ただ、「お米」のお、「お菓子」のお、「お茶わん」のおなどは、男性としては省けるが、女性のことばとしてはつけたほうがよさそうである。

 あるバスの中で、「両替する人」と書かれていたことがあった。ある鍼灸院の前に、「わざわざ遠いところから訪ねてくる」というのもある。これは、「両替する方は」とか、「両替はこちらで」に、また、「わざわざ遠いところから訪ねてこられる」というふうに、すべきである。そうでないとお客さんに失礼にあたる。

 「踏まえて」とか、「たたき台にして」などというのは、けっしてよいことばとはいえない。こんな下品なことばが、なにげなく使われているのはどうかと思う。

 熟語は、自分勝手に作ってはいけない。学者が考えつき、それが権威のある辞典に載って、はじめて使われるものである。最近、スポーツ紙を見ると、「無残」を「夢散」、「強打」を「脅打」、「待望」を「待砲」などと書いている。しゃれだろうとは思うが、スポーツ紙は若い人がよく読むので、心配でならない。

 重言にも気をつけなければならない。「まず最初に」とか、「いまの現状」「前に前進」、「最後の追い込み」、「製造メーカー」など、よく使われている。「瀬戸大橋の架橋」などというのもよくない。「馬から落馬した」は、悪文の典型的なものといわれている。ただ、短歌などで意味を強めるために、「ぬれにぞぬれじ」などと書くのは、許されてよいだろう。

 文章は、独り合点になってはいけないと思う。自分だけがわかっているつもりでは、相手に伝わっていかない。文章を書くからには、相手に通じなければその意味がない。文章を書いたときは、よく読み返してみることである。このようなことを考えて、よい文章を書きたいものである。


(丸亀市文化協会機関紙「城苑」 1996年刊行より)