◆ 粗食のすすめ ◆ コラム「ままかり」より2011年11月09日 01:59

さぬきうどん
 食欲の秋である。だれでも、おいしいものをたくさん食べたいと思うだろう。いまは、どこにもうまいものがいっぱいある。美食の時代だろうか。でも、美食にもきりがない。

 いつか、新聞の読書欄を見ていたら、幕内秀夫さんの、「粗食のすすめ」という本があった。病気の予防や、ダイエット、美容のための、やさしい知恵だという。

 老人医療に詳しい、ある大病院の九十歳代のH院長や、百歳を超えて、まだ現役のゴルファーSさんは、小さいころ粗食だったそうである。粗食は、老人にはよくないといわれる。

 一汁三菜は常食だろうか。一汁一菜も一汁五菜もある。一汁三菜が定着したのは、江戸時代の中ごろだという。副食を「おかず」というのは、そのころ、魚や野菜を数えて食べた意味だそうだ。

 A新倉敷では、栄養士さんが、一週間ごとの献立表を作っている。朝食、昼食、夕食の、熱量や塩分が表示されている。一日分の総量もわかる。私たち、毎日安心して楽しく食べられる。

 食事には摂生がたいせつである。おいしい物でも、大食いはよくない。暴飲暴食はいけない。偏食もひかえたい。昔から、腹八分目といわれる。いつも、健康の大切さを考えたい。

 おいしいものが食べられ、好きなことができれば、一番よい。へしへしとしぼんではならない。みんな元気で助け合い、楽しい心で過ごしたい。


  美食も ひかえめがよし 健康に

◆ 巡礼 ◆ コラム「ままかり」より2011年11月13日 02:28

 出家とは、家を出て仏門に入ることである。このごろ、プチ出家といって、出家気分を味わう人が多いという。寺院もよく受け入れてくれる。一泊2日ぐらいで、読経に始まり、法話を聴いたり、座禅をしたり、社仏や写経をし、僧侶の修行を体験する。

 社仏は仏画を描き写し、写経は経文を書き写すことである。カサブランカにおられるTさんは、毎日、筆で、「般若心経」262文字を書いている。写経をはじめてもう20年余りになるそうだ。

 巡礼さんは経文を唱えながら聖地を巡る。四国八十八ヵ所は、徳島の霊山寺から、所々の札所をへて、香川の大窪寺へ、四国を一周りする。ゆるい道も多いけれど1400キロある。今は乗り物があるが、昔は歩いて参り80日余りかかった。Tさんも巡礼されている。

 西国33か所は観音霊場である。和歌山の西岸渡寺から岐阜の華厳寺までで、1000キロある。道のけわしいところがあり、法灯リレーで1年半かけて巡る人もある。岡山、広島には中国33観音霊場がある。参拝者も多い。

 作家の五木寛之さんは、2年間の百寺巡礼をしている。それで、「お寺参りはよい。学ぶことが多く、足腰が強くなる」と、言っている。信心すると、なんとなく日々のありがたさを感じ、心が穏やかになる、と言われる。


 ありがたや たかののやまの いわかげに だいしはいまに おわしまします

◆ 山くらべ ◆ コラム 「ままかり」より2011年11月15日 10:52

 たしか、小学校の唱歌に

  あたまをくものうえにだし
  しほうのやまをみおろして
  かみなりさまをしたにきく
  ふじはにっぽんいちのやま

 こんな一節があった。子供たちがよく歌っていた。
 わが国は山が多い。富士さんは、標高3776メートルで、日本で一番高い。それに山容が美しい。前にA新倉敷におられた俳人のKさんは、

  赤富士を二人で見た日いま一人

と詠んでいる。寂しいが、よい句だと思う。

 日本でいちばん低い山は、大阪市の天保山(4.5メートル)である。徳島市は「天保山は人工である。天然の山では、わが方の弁天山(6.1メートル)がいちばん低い」と言う。

 岡山県には126山あるそうだ、いちばん高いのは東粟倉村の後山で、1345メートルである。美しいのは岡山市の芥子山で、備前富士と呼ばれる。倉敷市の由加山は聖地として知られ、川上村の三平山は眺めがよいという。

 私は、定年退職してから、ひとときよく旅行をした。北は秋田まで、南は宮崎まで行った。どこにも山がある。山口県へ行ったとき、萩城の裏山から、初めて日本海を見ることが出来た。

 群馬県では、車で赤城山へ登った。標高1800メートルの山上からの眺めがとてもすばらしかった。静岡県では、下田から修善寺までバスに乗り、天城越えを楽しんだ。天城山は高さ780メートルだが、情緒に富んでいる。


  古里の 山は懐かし 年ゆきて

ことばの歩道2011年11月17日 10:30


 私は、大阪で、学生時代に、ある業界新聞のアルバイトをしたことがある。それがきっかけになったかどうかはわからないが、新聞社に勤めるようになった。そして、定年退職後も、歴史ものの編さんや広報の仕事に携わり、今に鉛筆をにぎっている。

 だれでも、ふだん、日記をつけたり、手紙を出したり、覚え書きをするなど、意外に文章をつづることが多い。文章を書くのが好きな人がいれば、嫌いだという人もいる。それにしても、文章が書けるということはよいことだと思う。文章を書くのはそんなにむずかしいことではない。ただ、ことば遣いには気をつけなければならない。

 漢詩の修辞法に「起承転結」というのがある。第一句で詩思を提起し、第二句でそれを受け、第三句でさらに変化させ、第四句で締めくくる。ことばを有効適切に表現するこつである。これは一般の文章にもいえる。

 文章を書くにはひとつの取り決めごとがある。それは、「常用漢字表」「改正送りがな」「現代かな遣い」である。これはひとつの目安とされ、必ずしも守らねばならないものではない。しかし、官公庁や報道機関などは、率先してこれを使うことになっている。私たちも、できることなら現代国語をよりどころにしたい。

 一般の文章は口語体で書くのがよいと思う。言文一致ということばがある。文章のことば遣いを、話ことばに合一させることである。明治のはじめに言文一致運動が起こり、それまで文語体で書かれていた文章が口語体になった。ふだん話していることを、文章にあてはめればよいわけである。

 文章が上手になるにはいろいろなことが考えられる。なにより書いてみることである。そしてよく文章になじむ。新聞や書物のすぐれた文章をよく読むのもよい。有名な作家でも人の文章をよく読むといわれる。どちらかといえば、いま、いちばん日本語の適切な使い方をしているのは、新聞ではないだろうか。

 どんな文章がよいかといえば、もちろん、読みやすくて意味がよくわかることである。ひといきひといきにすらすらと読めるのがよい。政治家や官公庁は、よくむずかしいことばを使っている。むずかしいことばを使うのが、偉いとでも思っているのだろうか。口語文でも名文は書けるはずである。

 文章はやさしいのがよい。そして、きれいなことばを使い、相手に失礼にならないことである。読みやすいためには、読点や句点を適当につけることも忘れてはならない。

 最近は、ことばがたいへん乱れているように思う。とくに若い人のなかに多い。「こられる」を「これる」とか、「見られる」を「見れる」とか、「出られる」を「出れる」など、いくらでもある。「青春しよう」「勝利する」というのも、おかしい。

 文章には敬語がたいせつだが、なにも使い過ぎることはない。敬語は、相手の物ごとを表す場合に用い、自分の物ごとではあるが、相手にかかわりのあるときにも使う。夫に「してやる」といい、子どもに「してあげる」などというのは、間違いだろう。なかには、ペットに「えさをあげる」といったりする。

 敬語をつけては変な場合もある。「おテレビ」のお、「お靴下」のお、「ご芳名」のご、「ご令息」のごなどで、これらはつけなくてよいものである。ただ、「お米」のお、「お菓子」のお、「お茶わん」のおなどは、男性としては省けるが、女性のことばとしてはつけたほうがよさそうである。

 あるバスの中で、「両替する人」と書かれていたことがあった。ある鍼灸院の前に、「わざわざ遠いところから訪ねてくる」というのもある。これは、「両替する方は」とか、「両替はこちらで」に、また、「わざわざ遠いところから訪ねてこられる」というふうに、すべきである。そうでないとお客さんに失礼にあたる。

 「踏まえて」とか、「たたき台にして」などというのは、けっしてよいことばとはいえない。こんな下品なことばが、なにげなく使われているのはどうかと思う。

 熟語は、自分勝手に作ってはいけない。学者が考えつき、それが権威のある辞典に載って、はじめて使われるものである。最近、スポーツ紙を見ると、「無残」を「夢散」、「強打」を「脅打」、「待望」を「待砲」などと書いている。しゃれだろうとは思うが、スポーツ紙は若い人がよく読むので、心配でならない。

 重言にも気をつけなければならない。「まず最初に」とか、「いまの現状」「前に前進」、「最後の追い込み」、「製造メーカー」など、よく使われている。「瀬戸大橋の架橋」などというのもよくない。「馬から落馬した」は、悪文の典型的なものといわれている。ただ、短歌などで意味を強めるために、「ぬれにぞぬれじ」などと書くのは、許されてよいだろう。

 文章は、独り合点になってはいけないと思う。自分だけがわかっているつもりでは、相手に伝わっていかない。文章を書くからには、相手に通じなければその意味がない。文章を書いたときは、よく読み返してみることである。このようなことを考えて、よい文章を書きたいものである。


(丸亀市文化協会機関紙「城苑」 1996年刊行より)

◆ 太陽 ◆ コラムままかり 2001.012011年11月27日 01:36


 ある旅行作家が、「日と月は永遠に旅をしている」という。太陽は、地球から一億五千万キロも離れていながら、さんさんと輝き渡り、私たちに天の恵みを与えてくれている。それに、どこにいても日の出がすばらしい。悠久の天体の美であろうか。

 中秋から冬には、A新倉敷のカサブランカから、朝日がよく見える。ちょうど、一同ホールで朝食のころである。高架自動車道の東方に、真んまるい真っ赤なお日さまがぽっかり浮かぶ。あちらこちらで「まあーきれい」と言われる。ほんとうに美しい。

 去年(こぞ)今年、森羅万象、なにも一日で変わるわけではないが、新年の一月一日は初(はつ)日である。今年の元日は、朝曇っていたがやがて東の空が明るくなり、午前七時半ごろ、お雑煮をいただきながら初日の出を迎えた。この日の太陽は、いつもよりいちだん赤く、ひとまわり大きいように思えた。

 私は、昨年五月に丸亀から倉敷へ移ってきた。岡山県の地図を広げ、珍しい町名にひかれた。和気郡の日生町で、「ひなせ」と呼ぶそうだ。日が生まれるとは、なんと縁起のよいことであろう。ここを通っているJR赤穂線に日生駅もある。街々は、陽光に満ちあふれているのだろう。

 太陽にちなんだ駅では、島根県木次町にJR木次線の日登(ひのぼり)駅がある。山間で、連峰に日が映え美しい景色が楽しめそう。また、滋賀県の蒲生町と日野町の間に、近江鉄道本線の春日野駅がある。この辺りは鈴鹿山脈と琵琶湖に囲まれた平野で、一面に日が差しているようである。


  初日出づ 雑煮いただく 佳き年に